猫が目を覚ますと、二匹の子どもジャガーが居た。
「こんなところに」「猫が居るぞ」
嬉しそうな声で子どもジャガーらは跳ね回る。
あたりは密林だ。茂った木々はとっぷりと黒に浸かっていた。猫の瞳孔が拡大する。怖気がするほど深い夜だった。じっとりとした夜の空気が体毛に染みる。気持ちの悪い暑さ以外は猫の気分とマッチしている環境だ。つまり不愉快な場所だった。
「ねえねえ遊ぼうよ」「ねえねえ遊ぼうよ」
抱き合って転がりながら、子どもジャガーらは猫を見る。長らく人間社会と自然との合間で過ごしてきた猫は昼夜どちらでも活動するけれど、基本的にネコ科の生き物は夜行性だ。二匹が上機嫌なのは夜だからだろう。
猫は辟易した。夜は好きだけれど、今はそんな気分ではないのだ。正直、誰とも接したくなかった。だから猫は二匹から顔を背ける。そのときお腹がくぅと鳴った。どうやら空腹だったらしい。
子どもジャガーらが顔を見合わせる。
「ちょっと待ってて」「動かないでね」
そう言って、子どもジャガーらはどこかに去ってしまう。猫は取り残された。
頭上では鳥の鳴き声がする。聞いたことのない、恐ろしい響きの声だ。
深い森の中で一匹だけ。空いたお腹と怖い鳥。猫は既視感を抱く。そうだ、確か、こんなことが以前にもあった。クリームへ至る行列を思い出す。並んでいた無数の命。象徴的な光景の果てには、誰か女性が居た気がする。
「ただいま」「持ってきたよ」
嬉しそうに何かを引きずって、二匹の子どもジャガーが戻ってくる。居ない間に逃げればよかったと猫は後悔したけれど、それは子どもジャガーらが引きずってきたものを見るまでだった。
なんて巨大な鼠だろう。
初めて見る齧歯類だ。子豚ぐらいの大きさがある。すでに子どもジャガーらが食べた後らしくあちこち欠けていたけれど、それでもなお猫の空腹を十回は満たすほどの肉が残っていた。
「食べて」「そしたら遊んで」
満面の笑みを浮かべながら子どもジャガーらは言う。
遊ぶ気分ではないけれど、空腹と興味とが猫の意向を変えた。この肉が食べられるのならちょっとぐらい遊びに付き合ってもいいと、猫は提案に頷きを返す。
「やった」「やったあ」
抱き合って転がる二匹のジャガー。さっきから突拍子のない動きを繰り返している。
「ボクは兄」「ボクは弟」
転がりながら言うのでどちらがどちらか分からない。猫は判別を諦めて肉に口を付ける。
「美味しい?」「カピバラ美味しい?」
(静かに食べさせてくれないのかな)
喋り続ける二匹に呆れながら猫は食事を続ける。カピバラは悪くない味だった。
空腹が満たされると気分はちょっぴり上向きになる。
約束通り猫は遊んであげることにした。
「なにする?」「なにしようか?」
決して良いとは言えない滑舌で兄弟ジャガーは議論を始める。猫の意見を聞く気はないようだけれど、特にしたいこともない猫は気にならなかった。
「じゃあ」「そうだなあ」
最終的に、色々な遊びをちょっとずつ行うことに落ち着いた。
密林での遊びはどれも猫には新鮮だ。ツタ伝い、苔剥ぎ、倒木トンネル作り、根潜り。単なるかくれんぼでさえ、生い茂った葉と動植物のにおいが混じり合った中では難易度がぐんと上がるため、猫は今までにない面白さを感じた。
空っぽだった胸の奥が何かで埋められていく。
遊びの中で最も猫が満たされたのは、兄弟ジャガーの笑顔が向けられる瞬間だった。
きっと心の底から楽しいのだろう。兄弟は転がり合いながら、何度も猫に笑いかけるのだ。ジャングルの王者らしい風格はまだ備わっていないので、幼い顔に輝く小さな歯は可愛らしさしか湛えていない。その歯の白さを見ていると、猫は心の陰りが少しずつ晴れていくような気がした。
猫が脚を滑らせたのは、その歯に見とれていたせいだ。
渓流遊びの途中だった。泳げない猫は川面に突き出た石の上を飛び移りながら、元気よく泳ぐ二匹を見守っていたのだけれど、石の一つが苔に塗れていたのだ。注意を怠っていた猫は明らかに滑りやすいそれに気付かず、川へと転がり落ちてしまった。
水が鼻腔に入り込んでくる。
流れが速い。石に爪を立てようとしても滑って上手くいかない。外気とは反対に低すぎる水温が、身体を急速に冷やしていく。
(もう駄目かもしれない)
何度も水に落ちてきた猫だけれど、だからといって慣れはしない。今回もまた強い恐怖を感じた。
けれどもそのとき、身体がひょいと引き上げられる。
「大丈夫?」「平気?」
兄弟ジャガーが協力して猫を引っ張り上げたのだ。おそらく流れに乗って素早く泳ぎ、下方へ回り込んだのだろう。
二匹はそのまま陸地まで猫を運んでくれた。
(ありがとう)
身体の水を払ってから、猫は感謝の意を示す。
「気をつけてよ」「溺れたら遊べなくなっちゃう」「そうだよ」「せっかく友だちになれたのに」
口々に小言を述べる二匹。しかし猫はその説教を逃げずに聞いた。怒られるなんて大嫌いなことだけれど、不思議と今はそれが嫌ではなかったのだ。
〝せっかく友だちになれたのに〟
兄か弟かは分からないけれど、兄弟の片方が言った台詞が、猫の頭の中をぐるぐると回る。
(友だち、友だち)
種を蒔くように言葉は巡り、やがてぴたりと落ち着くと、心の彼処に花を咲かせた。
虚無感が薄れていく。
代わりに温かな気持ちがふわっと湧いてきた。
(友だち。ぼくのはじめての友だち)
なんだか飛び上がりたくなるような気分になる。猫はにやけてしまうことを二匹に悟られたくなくて、前足で顔を擦った。
「あっ、夜が明けちゃう」「帰らなきゃ」
幾重もの葉に覆われた空を見上げると、兄弟ジャガーは慌て出す。
「また遊べる?」「遊びたいよ」「どこに住んでるの?」「ボクたちはこの近く」
急がないといけないのか、ただでさえ早口だったのに、もっと言葉が矢継ぎ早になる。
このあたりに住んでいるのなら今度は自分から探しに行く、と猫は二匹に答えた。この言葉に満足したのか、兄弟ジャガーはにんまりと笑う。
「待ってるよ」「またね」
草陰へ突っ込むように二匹は去っていく。あっという間にその姿は見えなくなった。
一人になったので、猫は嬉しさを爆発させる。自慢のふわふわしっぽを追いかけたり、兄弟ジャガーを真似て地面を転がったりした。
(友だちだ。ぼくに友だちが出来たんだ)
深い暗がりは、重たい葉っぱを抜けてきた陽光によって白んでいった。
景色が変わる。
また夜が訪れていた。きっと時間が過ぎたのだ。猫はジャガーを探そうと近くの樹を駆け上った。
(どこかな)
樹から樹へ、蔦を歩いて移動する。逸る気持ちが抑えられなくて、猫の歩行は速まった。
(どこかな、どこかな)
実際には五分くらいで見つかったけれど、猫にはそれが一年にも感じられた。
樹下に見つけたのは大人のジャガー。性別がメスであることは、その眼前に並んで腰掛けた二匹の子どもジャガーが居ることから明らかだ。そしてその二匹こそが、猫の友だちである兄弟ジャガーだった。
(やった、見つけたぞ)
今すぐ飛び降りて、遊ぼうと言いたかったけれど、猫は兄弟ジャガーの前だとクールに振る舞っていた。溺れかけはしたけれど、基本的にはちょっぴり年上の分、落ち着いている素敵な存在なのだ。だから冷静に、決して飛び跳ねたりせず、優雅な足取りで近づくことにした。
樹の幹を伝い、猫はゆっくりと地面へ向かう。
降りるに従ってジャガーたちとの距離は縮まった。だから会話が猫の耳に入ってくる。
「今日から遊びはやめてもらいます」
「えー」「どうしてー」
「ジャガーは最強のねこパンチを持つ種族です。しかし貴方たちにはその誇りが欠けています」
「欠けてないもん」「遊ぶもん」
「黙りなさい。今日からは特訓です」
「嫌だ」「遊ぶ」
「母のねこパンチを食らいたいのですか。カピバラの側頭部を一撃で粉砕する突きを」
「ごめんなさい」「言うこと聞きます」
「よろしい。では付いてきなさい。大体、貴方たちは遊びすぎなのです。いつもいつも」
小言は続く。大人のジャガーは喋りながら茂みの中へと進んで行った。
猫はこの会話を聞いて降りるのを止める。脚が動かなくなってしまったのだ。
(どうしよう。いま、遊びはやめろって)
兄弟ジャガーが母親を追いかける素振りはない。
二匹は顔を見合わせて、やれやれといった調子で首を振った。
「ママはうるさいね」「ボクたち遊びたいのにね」
ころころと転がる兄弟ジャガー。どうやら母親の言うことを聞く気はないらしい。
(よかった、遊べそうだ)
ほっとした猫は地面へ降りる。茂みを潜り、兄弟ジャガーに声を掛けようとした。
「でもねこパンチの練習はしないとだね」「大人になったら使うもんね」「遊ぶの我慢しようか」「それは嫌だな」「じゃあ、ねこパンチを遊びに取り入れようよ」「それがいい。ママに話してみようよ」「友だちの猫はどうしようか。遊ぶ約束しちゃった」「ううん、困ったね。だって猫とはもう遊べないよ」
その言葉に、猫の脚はまた止まってしまう。
「そうだよね」「ジャガーと猫だもん」「ねこパンチの遊びは一緒にできないね」「あんな小っちゃい前脚じゃパンチできないもんね」「出来ても弱そう」「細くて小っちゃいし」「そのくせなんだかあの猫、格好つけてたよね」「そうそう、溺れたくせにクールぶってた」
無邪気な声で兄弟ジャガーは笑う。
「変なの」「変なやつだ」「友だちやめちゃおっか」「どうせもう遊べないしね」
笑いながら兄弟ジャガーはちょっかいを出し合い、楽しげに転がり回る。
その笑い声を、猫は茂みの中で聞いていた。
会話の声は小さくないのに、とても遠くから聞こえた気がする。
(ぼく、ぼく、君たちがはじめての友だちだったんだ)
言葉は口から出ていかない。
陸揚げされた魚みたいに、顎が上下しただけだ。
(はじめての友だちだったのに)
地面がぐらりと揺れる。耳の奥で金属が擦れるみたいな音がした。喉が突然カラカラになって、お腹がひどく痛み出す。
(ぼく、ぼく、ぼくは)
すうっと視界が白む。色々な感覚が褪せていく。
猫は歯を食いしばった。
(ぼくは、君たちなんか嫌いだ)
金切り声を上げながら、猫は茂みから飛び出す。
この襲来に兄弟ジャガーは固まった。状況判断のために周囲を確認するのと、驚愕による筋肉の硬化とがそうさせたのだろう。その隙を突いて猫は兄か弟か、とにかく一方のジャガーに飛びかかって、爪を振り回した。
「痛いッ」「兄ちゃん」「このやろ」「なんだよ」「どけッ」「くらえ」
脇腹に激痛が走る。ねこパンチが当たったらしい。体勢を崩した猫は地面に転がる。そこに、兄弟ジャガーが揃ってのしかかってきた。
「やったな」「チビのくせに」「生意気だぞ」「格好つけめ」
耳から尻尾の先まで、全身を攻撃される。爪や牙や拳によるダメージは蓄積されて、すぐに猫は抵抗を諦めた。身体を丸めて縮こまり、痛みに耐えながら、目をつぶって攻撃が止むのを待つ。
「おやめなさいッ」
鋭い一声が空気を払う。大人のジャガーの声だった。
攻撃は止んだ。兄弟ジャガーの気配が猫から遠ざかる。
「何をしているのですか、こんなに小さな猫を相手に、二匹がかりで。ジャガーの誇りはどうしたのですか」
「でも」「こいつが先に」
「黙りなさい。見損ないましたよ。猫さん、大丈夫ですか?」
言葉を掛けられて、猫は立ち上がる。身体はそこかしこが痛かったけれど、大きな怪我はない。
だから問題は身体の傷じゃなかった。
大人のジャガーが優しい目で猫を見ている。兄弟ジャガーは不満たらたらといった様子で互いに身を寄せ合っていた。
「ああ、こんなに怪我を」
傷ついた箇所を大人のジャガーが舐めてくれる。
猫はその舌を払った。
身体が震える。悲しいからじゃない。痛いからでもない。恥ずかしかったからだ。
(ぼくはクールな猫なんだ)
みっともなく叫んだ自分。血眼になって駆けた自分。先に仕掛けておきながら喧嘩に負ける自分。今にも泣き出しそうな自分。
(ぼくは可愛くて、格好良くて、素敵で綺麗な猫なんだ)
「ごめんなさい、私の子どもたちが」
なおも慈愛の眼差しを変えない大人のジャガーから、猫は逃げ出した。
脱兎のように茂みの中へ。視界は狭まってほとんど前が見えなくなる。それでも駆けた。この場から少しでも遠くへ行きたかったのだ。
正面衝突したそれを、最初は樹だと勘違いした。
前をよく見ていなかったのだ。頭から思い切り激突したため、猫は目の前に火花を見た。ふらつきながらも前に進むと、今度は前脚が濡れる。水だ。渓流まで走ってきたらしい。流されるわけにはいかないので、猫は足を止める。視力が回復するのを待って、安全な場所を渡るためだ。けれどもこの選択がよくなかった。すぐにでも踵を返して、引き返すべきだったのだ。
お尻に痛みが走る。
悲鳴を上げて猫は地面を転がった。身をかがめて周囲を伺う。そのとき視力が戻った。
ワニだ。決して大きくはないけれど、かといって小さくもない。頬より長く裂けた口には乱杭歯が並んでいて、爬虫類特有の冷たい目は猫を獲物として見ていた。もごもごと蠢く顎は何かを咀嚼しているらしい。その所作は、猫の恐怖心をより一層煽った。
大地を抉るようにワニが這う。
見た目に反して素早い。口が開き、瞬時に閉じる。断頭台みたいなそれを猫は背後に飛んで避けた。けれども歯がかすったらしい。頭部のどこかが切れたのを知覚した。
後ろ足から着地する。ワニの前進は止まらない。再びその口が開く。もう一度飛ぼうにも、猫のバランスはまだ整っていない。
(もう駄目だ)
猫はぎゅっと目を閉じる。
荒々しい雄叫びが聞こえたのはそのときだ。
樹木の倒れる音に続いて、何かが争い合う気配を感じた。迫っていたはずのワニの歯は、未だに猫を引き裂かない。恐る恐る、猫は目を開けた。
大人のジャガーが強烈なねこパンチをワニへと放っている。
もう何発も食らっているのだろう、先程までの恐ろしさはどこへやら、ワニは逃げるように川へと進んでいた。しかしその尻尾は大人のジャガーに押さえ込まれている。さらにもう一発、ねこパンチが背中に叩き込まれた。ワニは沈黙する。
「大丈夫ですか?」
怯えていた猫に、大人のジャガーが目を向ける。その顔にさっと青味が差した。
「ああ、大変。ひどい怪我。尻尾もなくなって」
その言葉は猫の頭の中で、津波みたいに理性を襲った。
お礼も言わずに猫は自慢のふわふわしっぽを探す。見当たらない。お尻には背の低い雑草みたいな縮れ毛が付いている。そこはかつて尻尾の根元だった場所だ。なんで尻尾の代わりにこんなみっともないものが付いているのだろう。
気が狂いそうになるほど猫は尻尾を探す。
いつも舐めていたのだ。見当たらないなんてありえない。自慢の、ふわふわな尻尾なのだ。
叫んでしまいそうだった。言葉にならない言葉が、喉の真ん中で膨張している。けれどもそんな混乱の中、頭の隅の隅で、小さな自分が冷静に囁いた。
〝もう尻尾はどこにもない。ワニに食い千切られてしまったんだよ。さっきお尻が痛かっただろう、あのときさ〟
(違うよ。尻尾はなくなったりしないよ。だって自慢の、ぼくの)
大人のジャガーが何か言っている。猫には聞こえない。
ぐるぐる回るのを止めた。きっと見つからないのは調子が悪いからだ。お尻を追いかけても始まらない。まずは落ち着いて、そうだ、自慢のとんがり耳を掻こう。困ったときはそうすれば上手くいくことがあるのだ。
猫は耳に手を伸ばす。けれども触れた左耳は、記憶の手触りと違っていた。
「駄目です、触っちゃいけません。消毒しないと」
そう言って、大人のジャガーは猫の左耳を舐めた。その舌先には血が付いている。どうやら猫の血らしい。
忠言を無視して猫はもう一度左耳に触った。
やっぱり手触りが違う。いや、手触りだけではない。形も違っている。とんがっていたはずなのに、この耳にはちっとも鋭角がない。
動かなくなったワニの真横、川の浅いところに猫は駆ける。
そして、水面に映った自分の姿を視認した。
昨日までふくよかだったはずなのに、心持ち痩けている頬。だらしなく垂れた髭。体中に出来た切り傷と擦り傷。ボロボロになった毛並みと引きつった口元。
欠けている左耳と、どこにも見当たらない尻尾。
(こんな、こんなの)
すり足で猫は後退する。
(こんなに汚い猫は、ぼくじゃない)
背後で茂みが揺れた。猫は振り返る。
兄弟ジャガーがそこに居た。母親を追いかけてきたのだろう。四つの目に驚愕を浮かべて、ワニと猫とを見つめている。
「無益な喧嘩をすればどんなことが起きるか、分かりましたか?」
大人のジャガーは子どもたちに向けて、冷たい言葉を浴びせる。
「ジャングルの王者は弱いものイジメなんてしてはいけません。見なさい。自分たちの愚かな行いがどれだけこの猫さんに被害を与えたか」
頭を垂れて、元気をなくして、いつだってうるさかったのに、兄弟ジャガーは静かなままでいる。
その目がちらと猫を見た。
後悔を滲ませ、憐憫を湛え、己の行為を恥じるように、その目は揺れている。
けれども猫は、それらの所作を見た目通りには受け取れない。
「謝りなさい。さあ」
「ごめんなさい」「ごめんなさい」
猫は何かを言おうとした。でも何も言えなかった。
頭の隅の隅に居る冷静な自分だけがおしゃべりだ。
〝真面目な顔で謝ってるけど、腹の底ではどうだろう。笑っているんじゃないのかな。なにしろみっともない猫だ〟
(うるさい)
「こんなことになるなんて」「ボクたち、君を傷つけるつもりなんかじゃ」
〝ほら言い訳を始めたぞ。結局悪いと思ってないのさ〟
(うるさいッ)
誰の話も聞きたくなかった。あらゆる全てを見たくなかった。
ジャガーたちに背を向けて猫は駆け出す。今度は目を閉じない。真っ黒に渦巻いている感情のせいで胃袋の中身を全部吐き出してしまいそうなのに、なぜだかひどく冷静で、転ぶこともなく走り続けられた。
密林はどこまでも広がっている。鬱蒼とした視界は迷路みたいに入り組んでいた。
これが迷路ならどこがゴールなのだろう。どこからスタートだったのだろう。どうして解かなければいけないのだろう。歩き続ける理由はどこに?
猫は立ち止まった。
追いかけてくる生き物の気配はない。頭上ではまた怪鳥の鳴き声。でも今度は怖くなかった。だって自分が食べられたって構わないのだ。
だからその場で丸くなる。
(悪い夢だよ。全部悪い夢さ。起きたらすぐに忘れてしまうはずだよ)
必死に呟きながら瞼を閉じる。眠りに落ちるまで、永遠ほどの時間が掛かった。