わたしがN濱と出会ったのは十五歳の春である。当時、彼もわたしも高校生だった。
 出会った瞬間から親しかったわけではない。
 同じ級の顔見知り。しばらくはその程度の仲だった。たいして話もしない。
 だがその程度の接点でも、わたしは彼に悪印象を抱いていた。なぜなら彼の顔立ちは整っていて、女生徒たちに黄色い声で噂され、否が応にもその名がわたしの耳に入ってくるのだ。わたしは女生徒に好かれる男子が嫌いであった。
 しかし彼に対する印象はすぐに変わった。
 ある日の登校時、下駄箱で上履きに履き替え、廊下を歩いていると、野太い絶叫が聞こえた。N濱のものであった。
 彼は階段の手前で膝から崩れ落ち、両腕を床に付いていた。小刻みに震え、唾液を垂らし、絞り出すようなうめき声を上げていた。
「どうした、大丈夫か」
 明らかに身体に異常をきたしている様子だったので、わたしは心配して彼の傍に膝をついた。
 だが身体に異常はきたしていなかった。彼は震えた声で、
「女子の……女子のパンツを、見てしまった……意識的に! 私は薄汚れた破廉恥だ!」
 と叫んだ。
 これだけなら純粋な心の持ち主がふとした弾みで女生徒の下着を目撃してしまい、その罪深さに打ち震えていたという美談なのだが、実態は違う。現にN濱はそれからも毎日のように階段の手前で絶叫していた。
 つまりこういうことだ。
 下着は見たいから見る。罪悪感は少なからずある。故に叫ぶ。だが見たい気持ちは変わらないので翌日も見る。後はこの工程を繰り返す。
 彼はどこまでも素直かつ愚かな男だった。
 そのためわたしは彼と親しくならざるを得なかった。なぜならわたしもまた、女生徒の下着に惹かれる愚かな男子生徒に過ぎなかったからだ。

 N濱の奇行から学ぶものはないが、失うものもない。
 毒にも薬にもならない物は、口寂しいときに食べるのにちょうどいい。そういうわけで、彼の奇行をいくつかここに書き残そうと思う。

          ◆

 一、風船打撲事件

 確かわたしが十七歳の秋のことだ。
 わたしの級では文化祭で迷路をやった。壁をボール紙で建造し、その表面に風船を貼り付けて華やかにした、文化祭らしい出し物だ。主に女生徒たちが作成し、我々男子生徒はその脇で鼻くそをほじっては食べていた。男子生徒なんてそんなものだ。逆に言えば鼻くそを食べていなければ男子生徒ではない。鼻くそを食べていないそこの男子、今すぐ食え。でないと退学になるやもしれぬ。
 文化祭はつつがなく終了し、後片付けの時間になる。
 さすがに片付けくらいは手伝わねば男子生徒の名が廃る。我々は鼻くそをほじるのをやめ、手を洗い、めいめいにボール紙を剥がし、風船をかき集めた。
 集めた風船を教室の隅に集めていくと、三十個以上はあったので、小高い山が完成した。
 風船でできた山だ。男子生徒は皆、興奮した。
「どうする」「割ろうか」「割るしかあるまい」
 三十以上の風船に一斉に衝撃を与え、破裂させたら、どれほど面白いだろう。男子生徒一同は期待に胸を躍らせた。
 協議の結果、割り方は派手なほうがいいだろうということで、風船の山の上に誰かが落下し、押しつぶすようにして割ることに決まった。
 では誰が落下するか。
 無論、N濱である。
「机を用意してくれたまえ」
 厳かな声でN濱は言った。わたしたちは風船の山の真横に机を設置する。
 N濱は悠然とした動作で机の上に立ち、風船の山を見下ろした。我々は生唾を飲む。
「参る」
 そう呟くと、N濱は飛んだ。身体の大部分を風船に叩きつけられるよう、眠るときのように身体を床と水平にした、美しい姿勢で宙を舞った。
 さて、当然だがある程度の高さから人が落下するので、落下地点付近にいるのは危険である。さらに破裂音は大きいと予測される。そのため我々は皆、風船の山から離れていた。
 つまり誰一人として風船を押さえていなかったのである。
 すると風船というやつは軽いので、人体が落下する際の風圧であたりに散らばってしまう。現に散らばった。あっ、と思ったときには遅かった。
 N濱は教室の床に全身をしこたま叩きつけた。
「うっ」
 と一声呻いて、N濱は沈黙した。風船は一つも割れなかった。
 我々は皆、言葉もなかった。だがそのうちに、N濱を讃えるべきだと思ったのだろう、誰からとなく拍手を始めた。やがて教室中が拍手の音で満たされた。
 N濱はそれから十五分ほど動かなかった。

          ◆

 二、自転車損壊事件

 事件というよりは事故だった。顛末はこうだ。
 ある朝、N濱は音楽を聴きながら自転車で通学していた。聴いていた曲はB’zの『SUPER LOVE SONG』だ。気分が高揚し、胸が高鳴る名曲である。常人ならざる心を持つN濱とて例外ではなかった。しかし彼は胸を高鳴らせ過ぎた。
 歌詞を口ずさみながら道路を横断した瞬間、車に轢かれたのである。
「一万円で買った私のママチャリは瞬時にお釈迦になった」
 と後にN濱は語る。
 その後、警察を呼び、互いの身元を開示し合うという事故後のお決まりの流れとなる。そこでN濱は、己を轢いたのが某銀行の役員が乗る車だったと知る。
 瞬間、彼に閃きが走る。
 相手の立場を知ったN濱は、己の自転車が損壊し、もう走れないことを、悲しげな声で遠回しに主張した。彼の予想通り、相手は平身低頭し、こう言った。
「もちろん、自転車は弁償させて頂きます。どのような自転車をご所望でしょうか?」
 その問いかけにN濱はなんと答えたか。轢かれてから一時間後、土が付き、よれよれになった制服で登校したN濱は、得意げな顔でわたしにこう語った。
「一万五千円の良いママチャリ、買ってもらうんだ」
 そこで五万円のクロスバイクと答えないところが、N濱の紳士たる所以である。

          ◆

 N濱の逸話は枚挙に暇がないが、残念なことに中身もない。
 今日はこのぐらいで止めよう。皆の貴重な人生をN濱のために割きすぎるのは良くない。
 機会があればまた語ろう。