令和

 年度が明けて4月である。気がつけば気を失いそうになるほどの速度で日付が過ぎている。頭痛がする。鎮痛剤は効かない。

 長編小説を書いているのでブログの更新はおろそかになっている。ついでに資格試験の勉強もしている。仕事は忙しい。わはは。

 聞くところによると社会人の平均自習時間(仕事とは別に、余暇にスキルアップに使っている時間)は5分未満だという。資格なんか取れへんやん5分ぽっちで、と思う。わたしは勉強に自信がある方だが要領が良くないので、テスト勉強は効率を度外視して物量で攻めてる。具体的には一冊の問題集を3~5周ほど解く。丸覚えするまでやる。本番で実力の七割しか出せなくても合格点は取れる、という状態まで持っていくスタイルだ。これをすると睡眠が不足する。わはは。

 長編小説の話に戻るが、これは短編も同じだけれど、書いている時間は全体の作業工程の中だと2割程度だ。残りの時間は資料を読んでいるか、プロットを整理している。準備が八割という点で、あらゆる業種に通ずるノウハウがあるように思う。

 書くのは楽しいが準備はつまらない。文化祭の逆である。

 一番楽しいのは最初のアイデアを思いついた瞬間だ。それを形にするのはただの作業である。といっても手順があやふやなので、それを組み立てる楽しさはある。面倒でもあるが。

 新たな元号が令和と発表されたらしい。響きが好きなので不満はない。

 由来や願いはいろいろなところで解説されているはずなのでそのうち読んだり聞いたりして知ろうと思う。ただ、結局のところ、言葉は時代によって変質する。崇高な理念に基づいて組み上げられたシステムも、それが犯罪に使われたら忌み嫌われるのと同じで、『令和』という言葉が持つ意味合いは今後の時代の変化によって変わっていくだろう。戦争があれば『昭和』と同じように、どこか薄暗い雰囲気を帯びるに違いない。

 とりとめもない話が並んだ。雑談みたいなもんである。実際、ほとんど消さずに書いている。喋るのと感覚的にも変わらない。キーボード練習みたいなもんだと思ってくれると嬉しい。打鍵する感覚が楽しいのか、言葉を吐き出す感覚が楽しいのかは不明瞭だ。

 いい年になりますように。

 

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