スイス・アーミー・マン(2016)
24日(日)の文フリ前橋参加にあたっての物資の郵送諸々をやりながらこの文章を書いています。イベント前はどきどきしますね。人が来てくれるといいのですが。同人文芸なんてものは日陰の趣味だからなあ……みんな、文フリ前橋でぼくと握手だ!
映画の話をする。
スイス・アーミー・マンがネットフリックスに登場していたので観た。公開時にも気になっていたのだが、忙しくて観られなかった映画だ。
あらすじからして馬鹿映画である。
遭難し、絶望から自殺を試みた主人公。しかし彼の目の前に一体の死体(ダニエル・ラドクリフ)が登場することで事態は一変する。なんと死体はただの死体ではなく、モーターボートに匹敵する推進力で放屁したり、胸を押せば口から飲料水を吐いたり、寂しい夜には歌を歌ったりする、スイス・アーミ・ナイフのような多機能死体だったのだ!
脚本家は頭がイカれている。
ならば観るしかなかった。
で、まあ面白いわけだこれが。だってハリー・ポッターを演じたあのダニエル・ラドクリフが半ケツさらして背中に人乗っけて放屁しながら海を渡るんだぜ? 面白くなかったら嘘だよ。
遭難もので描かれるのはいつだって正気と狂気の境界線である。
どんなに綺麗な衣装を着たって、人間は動物の一種である。ぼくはそう思っている。遭難ものではその動物としての人間が露わになる。いってしまえば人間の狂気側の側面だ。
そして、同時に、それでも人間でいたいと必死で理性にしがみつく人間性――正気側の側面も描かれる。
有名どころじゃ『キャスト・アウェイ』 のトム・ハンクスだ。世界的な配送会社フェデックスの役員だった彼は貨物と一緒に無人島に漂着。四年間、孤独に生き抜いた。その過程でバレーボールに顔を描いてウィルソンと名付け、親友として語らう一方、開ければ便利なアイテムが入っているかもしれないのに貨物の一つを開けず、映画の最後で宛先に届ける。「これのおかげで帰ってこれた」と。
狂気側に行った人間は帰ってくるためのロープを必要とする。『キャスト・アウェイ』の場合は未開封の貨物がそれだった。
『スイス・アーミー・マン』では何か?
ない。存在しないのである。
なぜならこの映画は遭難ものとしては異例の、『狂気側から観た遭難』だからだ。
そのため狂気側に行くというよりもむしろ、狂気のほうから正気側に行く。そして最終的に狂気へ帰って行く。素敵な笑顔で。
わけがわからないだろう? 観たらわかる。観るんだ。
ちなみにそういうわけでナチュラルに狂っているので、観ていてつらい気持ちになることがほぼない。コメディとしては抜群の仕組みである。いやあいい映画だ。