『ひょうひょう』ネルノダイスキ(2019)

出典:https://note.mu/nerunodaisuki

 いい絵には不思議な引力がある。

 ぼくはミレーの『晩鐘』という絵が好きだ。この絵からは、いつぞやのオルセー展で運良く現物を見たとき、引力を感じた。縦も横も60cmくらいのあまり大きくない絵なのだが、一度目を向けると、視線を外すのが難しかった。何がそうさせるのかはわからない。でもいいと思う絵は必ずこの引力を持っている。

 不思議な話だけれど、いいと思うのと引力とでは、引力のほうを先に感じる。

 引き寄せられて、じっと観て、ああ、いいな、と感じるのが常だ。

 以来、表紙の絵から引力を感じた漫画はとにかく買うようにしている。この引力に従えば必ずいい漫画に出会える。

 『ひょうひょう』も表紙に引力を感じて買った一冊だ。

 十話の短編が収録されているけれど、これから読む人もいるだろうと思うとネタバレするのは悪いので、特に好きな『皿TRIP』について以下に記す。

 

【皿TRIP】

 実家から持ってきた古い皿に主人公が吸い込まれ、その後、帰還する話。

 話の導入が最高。「この皿を使うとたびたびおかずが消える。ある日、ついにほっけが丸ごと消えた。キレた主人公が皿に野菜くずを乗せると、激怒した皿に吸い込まれる」

 おかずが消えるという、どこか間の抜けた、それでいてある日ぼくに起こってもおかしくなさそうな妙に現実感のある入りが実に心地良い。ものすごくスムーズに入っていける。

 で、皿に入るとそこは皿に書かれた絵の世界が広がっている。そこには先住民がいて、彼曰く、「皿は生きている。だから体内の毒物は外に排出する。ここを出るには、おまえが皿にとっての毒となればいい」と言う。

 主人公は言われるがまま、毒となるべく、日夜ものすごく悪いことを考え続ける。この描写がまた素晴らしくて、主人公の身体がどんどんどす黒くなっていくのだ。最後にはヘドロのようになっている。

 こんなになるまで邪悪なことを考え続けて、元の世界に戻ったとき大丈夫なの? 人格ゆがまない? と読んでいて不安になるが、そこですかさず皿の先住民が「悪意に蝕まれた心が元に返ってこられるよう、元の世界に帰ったらこの包みを開きなさい」と掌サイズの包みを渡してくれる。

 それから主人公は全力で悪いことを考え、ついに元の世界へ帰還を果たす。が、発する言葉はカタコト混じり、悪いことを考えてないときでも若干身体が黒い、とかなり後遺症が残っていた。

「そうだ、包みを開けなきゃ」

 と主人公が包みを開くと、中には笑顔の書かれた小石。ただの小石。

 でもそれを見た主人公は喜色満面、「うわーっ」と声を上げる。黒くなっていた身体も元に戻っていた。

 話はそこで終わり。含蓄のある話だ。あとがきによると、作者のネルノダイスキ氏は昔話やおとぎ話に刺激を受けてきた人らしい。なるほど確かに、荒唐無稽な中に懐かしさと教訓が含まれているところは、すごく昔話っぽい。

 最後に主人公の心を元に戻してくれた石について考える。

 笑顔が書かれていた。で、石自体は皿の先住民が何気なく拾っている描写がある。拾った時期は、主人公に渡すよりもかなり前だ。その頃から主人公のためを思って持ち続けた、祈りの力のこもった石なのか。それとも誰かが何気なく拾って持っていたものが、別の誰かにとってはかけがえのない大切な物になりうるという比喩なのか。

 いろいろな理屈は付けられる。でも、どれも間違っている気がする。読んだ後にこうして考えるのが楽しい。それだけ懐の拾い話だと思う。