泥のように眠る
12月28日が仕事納めだったので、本日12月29日から冬期休暇だ。
この日は妻の誕生日でもあるのだが、互いに平日の仕事で疲れ切っていたので、泥のように眠るだけで一日が終わった。
起きると部屋はひどい有様だった。というか、ひどい有様だったことに気づいた。シンクには洗い物の山、洗濯物は洗濯機を二回稼働させないと処理できない量、部屋のあちこちに埃と髪が落ちていて、畳まれていない乾いた洗濯物が、ハンガーを付けたまま床の上に転がっている。
平日は仕事をしているので、生活がおろそかになる。
逆に言えば、生活をおろそかにしないと仕事ができないということだ。仕事とは何のためにしているのか、と考えさせられる。
妻と二人で淡々と家事をこなす。家が綺麗になると嬉しい。生活をしている、生活が出来ているという実感が、人生に潤いを与える。
では平日の人生は潤っていないのか。もちろん、そうだ。砂漠を歩いている気分である。
人間の身体は水で出来ている。砂にまみれた身体は泥になって、だから休日は泥のように眠っている。
しかし、そんな人生が不満かと訊かれると、首を傾げるところだ。
不満はあるけれど、そういう人生を選んだのは自分だ。なんだかんだ続けているので、内心では「これもいいか」と思っている。
この話にオチはない。日々というのはそういうものだ。
そうこうしているうちに日付が変わって12月30日になる。すまんな妻よ、こんな誕生日で。カニ鍋をプレゼントするので許しておくれ。