生存報告
ブログの更新頻度が衰えること著しい。
なぜなら仕事がアホほど忙しいからである。朝七時に家を出て深夜零時前後に帰る生活が続いている。私の本業は空調機器の修理であり、夏が最も忙しい。
肉体労働をしながら小説を書いていると、ブコウスキーのような無頼漢になった気になるが、しかし私は正社員である。酒も飲まず、煙草も吸わず、若くして結婚し、住んでいる家は社宅だ。暮らしの水準は高い。
なんとなくみっともない気分になることがある。情熱を持たずに仕事をしていると、脛をかじる相手を親から会社に替えただけで、本質的には子どもの頃となんら変わらないと思うからだ。まあ、大人になりたいわけではないが、しかし俺なんか大人ではないと言うには厳しい年齢になった。ある程度の年齢になったら人は無理してでも自分を大人だと言わねばならないと思う。なぜなら本当の子どもが途方に暮れるからだ。「誰を頼ればいいの?」と。せめて産まれたばかりの連中よりは大人で居たいし、そのためには自分を子どもだと言うわけにはいかない。
話は変わるがMCUをすべて観た。アベンジャーズ:エンドゲームはなんとか劇場で観られたが、IMAX上映は望めなかった。アラジンのせいで終わっていたのだ。許すまじウィル・スミス。
MCUでもっとも恐ろしいのは最終作のアベンジャーズ:エンドゲームが最も面白いところだ。そしてそれを楽しむにはそれまでの二十一作を観ておく必要があることだ。で、いざ見始めるとその二十一作の旅は楽しすぎて一瞬で終わるのだ。なんと恐ろしい。エンタメとはかくありたいと思う。
現場仕事は気を抜くと死ぬ。比喩ではなく本当に。屋上のへりで、踵の一ミリ後ろは地面まで十二メートル何もない、という場所でエアコンの外板を外していると「おれはどっかの誰かが暑い暑いとうるせえから命賭けて直してんだなあ」という何とも言えない気分になる。
メーカー勤めなので感覚的に「壊れないものはない」とわかっている。どんなものだっていつか壊れる。扱い方が悪ければ、壊れるまでの期間は著しく短くなる。でもそれをどうしてか「人間」まで広げられない。無茶な生活を続けていても、自分が入院するレベルの病気になったり死んだりするのは何十年も先のことだと思っている。
適度に肩の力を抜いて生きていきたい。が、そう願うのはそうできないからで、そのへんに自分の良くないところが凝縮している気がする。