この世界の(さらにいくつもの)片隅に(2019)
明けましておめでとうございます。
旧年中は多くの方に支えて頂き、小説を紙媒体で世に出すことが叶いました。大変有難うございました。
本年も精力的に活動していきます。
さて、恒例の映画鑑賞レポート。観たのは昨年末ですが、『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』について触れます。
とても大切な、愛おしい作品の一本です。
ぼくは基本的にブルーレイを買うことがありませんが、『この世界の片隅に』(以下、無印版)のブルーレイは買いました。クラウドファンディングにより世に出た無印版ですが、わたしはクラウドファンディングに参加できなかったので、せめてなにかできればと思ってブルーレイを買ったのです。
無印版の公開が2016年。
それから3年を経ての今作。
正直、追加シーンがどこなのか初見ではわからないほど仕上がりは自然で、それなのに観た後の印象は無印版とは全然違って、末恐ろしくなりました。
なんでしょうね、感覚としては久しぶりに帰省したときの郷里の景色に抱くものに近いです。あった店がなくなり、なかった店があり、元はどうだったかわからない場所もあって、全体として印象は全然違うんだけれど、それはもう新たな町並みとして自然にそこにあって、それでも変わらず愛おしい故郷と思える、あの感じ。
本作の舞台は広島。時代は終戦前後。描かれるのは当然、原爆投下を含む当時の状況になります。
が、無印版の頃から凄惨な印象はなく、あくまでも戦時下に生きる主人公『すず』の生活を丁寧に、それはもう丁寧に描いた作品でした。
すずさんは当時を生きる女性のひとり。戦地に行くことはなく、兵器をつくることもなく、でも防空壕をつくり、食料のない中で日々の献立に頭を悩ませ、好きだった絵を描く余裕もないほど慌ただしく日々を過ごしている。
はじめはぼんやりした、どこか間の抜けた少女だったすずさん。
そんなすずさんが戦争の時代を生きていく中で、ぼんやりしているだけではいられなくなり、ゆっくりと変わっていく様子が描かれます。
すごいのは、その変化が『戦争』だけによるものではないのが、観ている人にちゃんと伝わること。
良くも悪くも、成長と共に人は変わります。いつの時代の誰でもそうです。すずさんの場合はその要素の中に『戦争』がありましたが、でも、あくまでも要素の一つとして描かれていました。
それがこの映画の本当にすごいところで、その部分をもう少し掘り下げます。
多くの方が口にしている感想で、わたしも同じく抱いたのが、「戦争ってファンタジーじゃないんだな」という感想です。
あらゆるメディア、ニュースで口にされる『戦争』は悲惨で、陰鬱で、どうしようもなく残酷なものです。そこでは人間はみなモノのように扱われ、あっさりと死に、登場する人物は誰もがずっと泣き続けています。
だから、他人事としか思えないのです。
わたしは平和な時代に生きています。いきなり死ぬ可能性があるのは交通事故か天災ぐらいですし、頭上からいきなり爆弾が降ってくるようなことはなく、泣いている時間より笑っている時間のほうが多いです。
「戦争はつらいんだ、悲惨なんだ、駄目なんだ!」
と説かれても、「なるほど、そうか」と思いはしても、我がこととしては考えられません。なぜなら想像できないからです。
そんなにつらいこと、悲惨なこと、残酷なことは、わたしの生活圏にはないから。
『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』において、すずさんの生活は、つらいことばかりではありません。
いまのわたしの生活と同じように、様々な彩りに満ちあふれています。
仲の良い妹と冗談を言い合って笑い、嫁入り先になじめるかと不安になり、姪っ子と景色を眺めるのを楽しみ、夫を愛し、同時に妬みや嫉み、嫌悪感も持つ……
複雑で、目まぐるしく、生き生きとしている。
そこに戦争がさっと影を落とす。
「わたしの生活に戦争が混じったらどうなるか?」
映画を見終わったとき、それまでおとぎ話だった戦争を、まったく違ったものとして捉えている自分に気付きます。
無印版から、その特徴はありましたが、今作はそれがさらに顕著。
無印版以上に、より明確な一個人として『すず』という女性が立ち上がるような、奥行きを持たせる追加シーンの数々が、それを可能にしたのだと思います。
映画が好きでも、そうでなくても、ぜひ観てほしい一本です。