デンジャラス・ビューティー(2001)
ネトフリにて視聴。
男勝りの女性警官が潜入捜査のためミスコンにエントリーし、専門家のアシストの元、がさつで粗野な自分を変え、魅力的な女性になるというストーリー。
筋としてはよくあるシンデレラストーリーだが、主人公が変わるべき『魅力的な女性』をとことん馬鹿にしている、というのがスタート地点なのがいい。着地点も、結局はもとのがさつな自分に戻るのだが、そのがさつさが選び取ったものに変わっているので、価値が変質している。
現代だとポリコレ棒で殴られる映画じゃねえかなあ……と思いながら観ていたが、そういうオチなら今でもいけるな、と思った次第。
『プリティ・ウーマン』とか『プラダを着た悪魔』とか、第三者の手を借りて変身する女性の物語は人気だが、価値観の多様化した現代でこれらの魅力はどう変わっているのだろう。
魅力的という偏った価値観を押し付けられる物語に変わってしまっただろうか。
ぼくは面と向かって人に「これが好き」というのが苦手だ。なんか気恥ずかしいのである。日記を盗み見される感覚に近い。だからこの手の映画を見ると、おれには書けねえシナリオだなあ、と思う。