「バービー」を観てケンに思いを馳せる
数年ぶりのブログ更新である。
あまりにも久々すぎて更新しなきゃいけないソフトがすごいあるのね。んで更新したらしたでインターフェースが様変わりしてどういじったらいいかわからないわけ。わはは、ちょっとしたデジタル難民気分じゃ。ブログ無精な気質を反省している。
近況としてはエアコンがきかねえ。部屋の広さに対して馬力が小さすぎる。
そしてそんな環境下でコロナにり患。すでに治癒したが地獄だった。あまりに部屋が暑いんで、熱が37度に下がったタイミングで室内機を分解、ファンをピカピカにして応急処置する始末。だがそれで風量をチョイ上げしたところでのれんに腕押しってなもんである。出てくる風が黴臭くなくなったぐらいで暑いのには変わらん。
ちきしょう、この秋には絶対でけえエアコンを買う。
バービー観ました
X(旧ツイッター)で話題のバービー観ました。
ネタバレありで感想書きます。
まず、映画の内容についてはぼくはもう大満足。冒頭からラストまでずっと楽しかった。
一番好きなのはライアン・ゴズリングがくそだせえサングラスを2枚かけたシーンね。あれ笑うなってほうが無理じゃない?
さてそんなケンの件。駄洒落じゃないよ。
現実世界における「女」はバービー世界における「ケン」であるっていう切り口がまず最高だった。そうかあ、なるほどなあ、って劇場で頷くことしきり。んでこの語りを許したマテル社に脱帽。さすがである。
人生においてバービー人形に触れたことがないから知らなかったのだけれど、ケンって何の役割もないのね。無職で、家もなく、無理くり肩書を与えようと頭をひねっても出てくるワードは「ビーチにいる人」。サーファーでもライフセーバーでも海の家の店主でもなく「ビーチにいる人」。
これが現実の裏返しとすると、現実世界の女は「家にいる人」。
ケンがビーチにいるけどビーチの所有者でないように、女も家にいるけど家の所有者ではない。「主婦」という役割を与えようにも、現代社会においては家電が発達したために家事はほぼ自動化。少子化で子どももいない。結果として女は「家にいる人」となった。
よって存在は軽んじられる。パーティーには呼ばれず、誰かの付属品として扱われ、ひとりで何かしようにも資産がない。働こうとしても仕事がない。この世に自分の居場所を得るには、強い側の性に媚びへつらうしかない。
ケンを見たときに男の中に湧き上がる感情は、現実の女の持つそれに近しい。
同じように、ケンの振る舞いとその変化、オチを見たときに女の中に湧き上がる感情は、現実の男の持つそれに近しい。
ぼくは男なので、劇場を出たときにはかすかな苛立ちと反省の感情があった。「頑張って反抗したのにケンは謝罪されるだけで立場は変わらねえのかよ!」と「でも現実の女性だってそうだもんな」というね。
女性はどうなんだろう? これで女性側は「気分いいわ! 世の中は本当はこうじゃなきゃ!」だったらブラックユーモアだけど、「ケンの扱いが悪すぎる。ケンにエンパワメントすべきだ! この世界におけるケンの扱いは不当だ!」ってなるんだろうか。
この映画を観たときに女が感じる気持ちが、現実世界において男が感じている気持ちなんだろうと思う。
それを手放してより良い世界に進めるか? そんな問いかけをしてくる映画と感じた。
あとラストシーンいいよね。
まさかビルケンシュトックにあんな効果が与えられる日が来るとは。