映画が好き

 映画が大好きである。年間に大体100本前後観ている。大抵の人よりは観ているが、マニアというほどではない、微妙な立ち位置だ。

 邦画のベストは『まほろ駅前多田便利軒』で次点が『転々』。洋画はベストが『ドラゴンタトゥーの女』で、 次点はなんだろう。『キャロル』だろうか。ルーニー・マーラが好きだ。

 ネタに困ったらブログでも映画の話をしようと思う。

 ここ二週間前では『ギフテッド』『キャスト・アウェイ』『ポリスアカデミー』『ブラックパンサー』『2001年宇宙の旅』『ロリータ』『青い春』を観た。『ギフテッド』は最高に良かった。同じ監督がハリウッド版『君の名は』の監督に決まったと聴いて、いまから楽しみで仕方ない。

 週末には『ファースト・マン』『メリーポピンズ リターンズ』『アクアマン』、あとキャメロン・ディアスの銃夢を観る予定。久々の映画館はしごじゃ。コミティア明けの楽しみにしていたのだ。

 ところでキャメロン・ディアスになぜか縁がない人生だった。『タイタニック』も『アバター』も観ていない。なんでかそそられないのだ。不思議。でも銃夢は原作が好きなので絶対に観る。

 映画の何が好きかっていうと、その距離感だ。

 小説は読者に近い。心の内奥を表現できるが故に、ついついウエットになりがちである。個人的に湿っぽいのはあまり好きじゃない。人生はつらいものなので、ウェットな感情は作り物の中に探すまでもなく、現実のそこかしこに転がっている。

 一方、映画は観る人から少し遠い。

 二時間前後の限られた枠の中で表現できることには限界がある。観客は主人公に感情移入し、物語を楽しむが、けれどもどこか主人公を理解しきれないところがある。彼、彼女が歩んできたそれまでの人生を把握はしても、理解しきるのは難しい。立ち止まって考えて、自分の中に落とし込む時間がないのだ。すぐに次のシーンが来る。物語は進んでいく。

 こちらがウェットになるより早く、ウエットだった主人公は乾いていく。立ち直り、歩き出す。

 置いて行かれたとは感じない。ただそのしなやかさに憧れる。

 歩き出す一歩目が好きだ。歩いて行く過程はどうでもいい。そんなものはただの慣性だ。動摩擦係数は静摩擦係数よりも小さい。いかにして動き出すか、その力を得たか、そこにこそ物語の意味がある。

 ウエットなままじゃ、潤んだ瞳のままじゃ、歩き出すことはできない。

 軽やかな一歩目を映画は見せてくれる。だから好きなんだと思う。

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