「煮詰まる」という言葉

 貴基です。好きな食べ物は自分でつくった麻婆豆腐です。味噌を入れるのがミソです。

 無職になってから料理を楽しんで作るようになりました。時間があるって素晴らしいね。

 もともと好きではあったんですが、如何せんちゃんと作ってる時間がなく、食ってる時間もなく、週に2,3日は終日コンビニ飯だったんですね。

 コンビニ飯、嫌いじゃないけど、あれ不思議なことに、しばらく食い続けているとなに食っても同じ味になるんですよね。親子丼もパスタもたこ焼きも全部同じ味。いやそりゃ表面上は違う味なんだけど、ベース部分が同じ味なんですよ。何なんでしょうあれ。防腐剤の影響かな?

 栄養価の面でもコンビニ飯ばかりってのは良くないですし、なにより高価。

 というわけで自炊をしています。

 いまのブームは煮物。百均で落し蓋を買ったので、これを機にともりもり作ってます。先日は筑前煮とぶり大根を作ったところ、妻に好評。次はシンプルに肉じゃがでも作ろうか、と思案中。

 自分で煮物を作ってみると、「煮詰まる」という言葉について理解が深まります。

 「煮詰まる」という言葉は、誤用されがちで、多くの人が「どうにもならなくなった、どん詰まりになった、行き詰った」というニュアンスで使っているそうです。これだとマイナスイメージの言葉ですね。

 でも正確な意味は、手元の新明解国語辞典によれば、「会議などで、議論が出尽くして、結論が出せる状態に近づく」です。「もうすぐ結論が出そうだ」というプラスイメージの言葉なのです。

 なんで誤用のほうが広まったのかというと、おそらく、煮物を作らなくなったからでしょう。

 核家族化が進み、家事が一家の誰か一人に集中したり、分担していてもみんな忙しかったりすると、料理に時間をかけられません。すぐできる炒め物や鍋物を作りがちです。

 そうすると、「煮る」=「煮物」でなく、「煮る」=「鍋物」というふうに認識が変わるのではないでしょうか。

 同じ辞書で「煮る」という言葉を調べると「液体の中へ入れ、熱を通して柔らかく(どろどろに)する」とあります。煮物も鍋物も液体の中へ食材を入れて、熱を通して柔らかくするわけですから、どっちも「煮る」でいいわけです。

 鍋の場合、汁も飲むので、煮詰まったらいけません。「煮る」=「鍋物」の場合、「煮詰まる」はマイナスイメージです。

 煮物の場合、汁は飲みません。煮物は「味の付いた液体に食材を入れ、熱を通して柔らかくしながら、浸透圧で食材に味を染み込ませる」料理です。

 塩分濃度が高い汁が、塩分濃度の低い食材に染み込み、味を付けるわけです。

 このとき、汁の水分量が変わらない場合、しばらくすると汁と食材の塩分濃度が釣り合い、それ以上は染み込まなくなります。そこで、煮詰めて水分を飛ばし、汁の塩分濃度を高くして、さらに食材に染み込ませるのです。

 だから、煮物が完成するのは「煮詰まった」ときです。「煮る」=「煮物」と認識しているなら、「煮詰まる」はプラスイメージの言葉なのです。

 言葉は時代と共に変わっていきます。

 「煮詰まる」という言葉の変容は、「煮物」の作り手が消えていっていること示しているのだと思います。古くから日本の食卓を彩ってきた煮物料理。簡単なものでも作るのに30分はかかります。

 仕事しながらでも料理に30分使える社会になんねえかなあ。